「コロナ禍と大学スポーツの今」として、それぞれの大学ボート部の現状や、ボートに懸ける想いを伝えるシリーズ。
今回は2021年インカレのダブルで優勝を飾った金沢大学の柿島麗さん(S)、笠原実さん(B)にお話を伺いました。
金沢大学の皆さんには21年夏にも取材させて頂きました。(過去の記事はこちら『失意と決意』)
当時語ってくれた目標の「日本一」を見事に達成しましたが、その道のりは決して順調ではなかったそうです。おふたりに当時の悩みやすれ違いについてもお話しして頂きました。
プロローグ
「今度こそ引退だな。今度こそ」
2回目の「今度こそ」をゆっくり強調する。本人曰く”諸般の事情”で5回生になった麗さんは華やかに自分の境遇を笑った。
本当なら今頃インカレで戸田にいるはずだった。でも今日は私の部屋で鍋を囲んでいる。
今年のインカレはコロナの影響で開催が1ヶ月延期され、全日本と同時開催となった。
「引退が1年伸びて、最後の1年もひと月伸びた」
向かいに座る麗さんのとびきりの笑顔を見ながら、つられて私も小さく笑った。
私の住んでいる学生寮に麗さんも越してきたのが去年の12月。それから練習以外にもたくさんの時間を共有してきた。
「ふたりで漕げるのもあと何回かな?とかって考えちゃうな」
麗さんの”ふたりで”という言葉が、濡れた綿のように冷たくずっしりと心に居座った。
ふたりでダブルに乗っている。でも本当にふたりで漕げているだろうか。
艇の上でお互いのこだわりがぶつかってばかり。ダブルとしての漕ぎは一向にまとまらなかった。
私たちは同じ艇上にいるのに同じことができてない。
これまで麗さんはドライブで一気に艇を加速させてきたし、私は長く艇を支えるようにして艇速を出してきた。私たちは根本的な考えに、ずれを抱えたままここまで来てしまった。
絶対に日本一になる。その気持ちにふたりとも嘘はない。
だからこそ「今まで磨いてきた自分の漕ぎを貫く」「安易に相手に迎合しないんだ」と言えば格好いいが、残された時間に対して問題の方がずいぶんと大きいように感じられた。
本当のことを言うと、内心では焦りが肥大している。このままで大丈夫なのだろうか。
今年の秋は暖かく、夏の気配をはっきり残していた。でもスマホのカレンダーには消し忘れていた「インカレ」の文字があって、今日が9月9日であることを示している。季節が止まっても時間が止まっているわけじゃない。延期されたインカレは10月末。私たちに残された時間は少ない。
騒がしかった蝉の声も、今では随分少なくなった。
シングルがふたつ
「自分を抑えてしまうような気がしたんです」インカレを目前に控えた当時を振り返って笠原さんはそう語る。
笠原さん
「自分にも、麗さんにも今まで積み上げてきた自分の漕ぎがありました。ドライブでは一気に押したい麗さんに対して、私は長く押したいタイプで正反対と言ってもいいくらい漕ぎは違いました。
去年のインカレも私はダブルで出場したのですが、当時はストロークで自分のリズムに合わせてもらう立場でした。その時は基本的にはシングルで積み上げてきたことをそのままやっていました。だから今回バウになった時、どう漕ごうかなと戸惑っていました。相手に合わせて漕ぐことは、相手のリズムに染まって自分を抑えることなのでは?という疑問があり、ふたりで同じことをするのが本当に難しかったです」
バウの笠原さんと同じく、今回ストロークに乗った柿島さんも同じく悩みを抱えていたという。
柿島さん
「ドライブの押し方も違いを抱えていましたし、他にもフィニッシュの部分でも笠原は『ブレーキになってないですか?』と言っていて、私は『もっとハンドル動かし続けられると思うんだよー』とすれ違いを繰り返していました。私が次の漕ぎに行こうとリカバリーを始めるとき、笠原的にはもっと加速させられる部分を切っていると感じていたようでした。
バウが合わせればいい、という単純な問題ではないと思います。
ふたりで必死に練習を重ねましたが、1+1がきちんと2にならず、ダブルじゃなくシングルふたつで漕いでいる。そんな感じでした」
どうすればすれ違いを乗り越えられるのか。ふたりは試行錯誤を繰り返した。
信じた先に
漕ぎのイメージを共有できずに苦しんでいた柿島さんと笠原さん。二人をずっと見守ってきた村井コーチからも「ふたりで同じ艇を動かそう」というアドバイスをもらっていた。村井コーチの提案でシートを入れ替えてみたり、お互いの気になるポイントに絞って乗艇を繰り返した。
状況を打開するきっかけになったのは、「一度、相手を信じてみよう」というマインドセットだったという。
笠原さん
「何か特別大きなきっかけがあったわけではないのですが、意見をお互い遠慮なくぶつけ合って試行錯誤している中でふと “一度、信じてみよう” という気持ちが湧いてきました。
今まで自分の漕ぎを大切にしてきた自分には珍しい感情でした。ダブルのバウに本格的に乗ったことで、そういう気持ちになったのかもしれません。テーマである「同じ艇を動かす」ことに加えて、麗さんのイメージをちゃんと聞いてみようと思いました」
柿島さんもきっかけになったその練習のことを覚えており、当時を振り返る。
柿島さん
「笠原が私のイメージを聞いてくれた時のことをよく覚えています。インカレがいよいよ迫ってきた時期でした。その時は笠原がただ私から聞き出した通りに漕ぐんじゃなくて、自分なりの解釈でアレンジを加えてスムーズに対応してくれました。その時ようやくダブルとして漕げた感じがしたし、一気に艇速が伸びてくれました。
艇速が伸びたことも嬉しかったのですが、それ以上に笠原の姿勢から、自分を信じてくれたんだというが伝わってすごく嬉しかったです」
パートナーを信じお互いの漕ぎに向き合った。「ふたりで漕いだダブル」は今までで一番の伸びをみせた。コロナウイルスの感染拡大の影響などもあり他艇と並べる機会には恵まれなかったが、試合直前に練習水域で行った2000mTTでも好タイムを記録する。
ふたりは自分たちの中に静かな自信を携えてインカレ当日を迎えた。
ふたりで
今回の大会では感染対策として1日のレースに出場するクルーを絞るため、予選に先立ってタイムレースが実施された。順調にタイムレースを勝ち上がり、迎えた翌日の予選。学生クルーで1位の好タイム(7’22″8)を記録し、準決勝進出を決めた。
笠原さん
「レース中も、”ふたりで動かす”というのがテーマでした。タイムレースではとにかく予選に上がれたらOKという感じでリラックスして漕ぎました。予選と準決勝では、レースの前半部分で漕ぎがバタバタしたりしたのですがなんとか決勝まで進出することが出来ました」
準決勝ではB組の1位で通過するもA組の早稲田大学や立教大学にタイムとしては遅れをとる格好になった。(金沢大学:7’31″61 早稲田大学:7’28″21 立教大学:7’31″04)
笠原さん
「特に準決勝ではレース中に考えていることがそれぞれ違っていたみたいで、リズムや勝負どころがずれてしまいました。その結果タイムも振るわなかったので、もう一度決勝では『絶対に二人で動かす』ということを再確認して臨みました。スパートを少しだけ長めにとったこと以外は、今までやってきたことをやろうとレースに臨みました」
「第3Qが終わる頃には、大学勢では一番になれると思いました。(笠原さん)」と語るように圧巻の漕ぎを見せた。1500m地点ですでに2位に4艇身ほどの差をつけていた。
ゴール直前ではアイリスオーヤマの選手の声が聞こえ、むしろ先行する社会人クルーを意識していたという。柿島さんはゴールした瞬間のことを振り帰ってこう語る。
柿島さん
「自分たちがゴールする前にブザーの音が聞こえて、ガッツポーズする気にはなれませんでした。やっぱり一番じゃない。インカレでは勝ったけどまだ上があるんだなと思いました。笠原も同じだったようなのですが、ちょっとお互いに落ち着いてから艇の上でハイタッチしたりして、『目標を達成したんだ。日本一になれたんだ』と嬉しさも少しずつ大きくなっていきました」
お互いの漕ぎの違いを乗り越えて、見事に日本一を達成した柿島さんと笠原さん。
困難を乗り越えて掴んだ勝利だけに、喜びも大きかったに違いない。
そしてインカレ後に短いオフを挟んだこの冬。すでに練習を再開するふたりの姿があった。
次の目標へ
柿島さんと笠原さんは今シーズンで金沢大学を卒業し、来シーズンからは社会人としてボートを続ける。柿島さんは戸田中央総合病院RCで、笠原さんはNTT東日本でボートで漕ぐことが決まっており、既に次の目標に向かっていた。最後に今後の抱負について語ってもらった。
柿島さん
「社会人になったらクォドで試合に出てみたいと思っています。大学ではシングルやダブルといった小艇で試合に出ることがほとんどだったので、大艇でもレースに出たいと思っています。そして将来的にはもっと成長してオリンピックに出たいというのがこれからの目標です」
笠原さん
「全日本選手権で優勝することと、日本代表になることを目標にしています。代表になって世界で戦ってみたいですし、海外も含めていろんな水域で漕いでみたいと思っています」
例年以上に苦しく難しい状況の中で経験を積んだふたり。その経験は今後のボート人生にとっても大きな糧になるに違いない。それぞれ別のチームで研鑽をつみ、ふたりが代表クルーで再開する未来もあるかもしれない。今後も柿島さん、笠原さんを応援したい。
(写真提供 山田龍偉 取材・編集 原田 正喜)
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