東京パラリンピック ボート日本代表 西岡選手 後編「東京からパリへ、そして未来のオアズパーソンへ」

東京パラリンピックに出場を果たした西岡選手。
後編では、パラリンピック当日のレースを振り返り、今後の目標についてもお話を伺った。
また、これからパラボートを始めようと思う方へのメッセージも頂いた。

パラリンピックのテーマは””存在感”

西岡選手
「パラリンピックへの出場が決まってから、クルーの中では”本番で何を表現しよう”という会話をしていました。もちろん目標タイムも設定していましたが、それ以上にどういうテーマで試合に向かおうか、そのイメージをクルーで共有しようとしていました」

西岡選手たちが掲げていたのは、”スタートからの存在感”だったという。

西岡選手
「今回の僕たちの事前タイムは、出場12カ国の内12位でした。国際大会でもスタートから置いていかれることが多かったので、今回のパラリンピックでは、”スタートからの存在感”を示そうというテーマで本番に臨みました。日本のクルーをなかなか離すことができないな、という感覚を相手クルーにも感じさせたいと思い、スタートから思い切り飛ばすイメージでレースに挑んでいました」

“スタートからの存在感” そのテーマに基づいて、直前の合宿などでもスタート練習を重点的に行った。その甲斐あって、本番のレースを迎えるまでには、自分たちのイメージする完成形に近づいたという。

西岡選手
「予選、敗者復活、決勝Bと3レースに出場し、結果は12位でした。でもクルーとしてテーマに掲げていた事はできたレースだったかなと思います」

自身もそう語るように、スタート直後から前半はストロークレート(一分間に漕ぐ回数)も38前後でスピードに乗った。出場した3レースいずれも、スタートから強豪国に喰らい付いていく姿が印象的だった。クルーで掲げていたテーマは、本番でも充分に表現されたのではないだろうか。

スタートの成功の裏側には、日々の練習でコミュニケーションを欠かさなかったことがポイントだったという。

西岡選手
「僕たちのクルーはそれぞれの選手が抱える障害、年齢、性別もバラバラでした。でもそういった違いは同じ艇の上では関係ありません。最年少の木村選手は17歳で、彼女のお父さんが僕と同年代というくらい離れています。でもボートの上では気になる動きがあったときは誰からでも声を上げるし、レースでもしんどくなってきた時は、お互い声を掛け合って乗り越えることができました」

パラリンピックのレースを総じて振り返った西岡選手は、最終レースで漕ぎを崩してしまったこともあり、「自己評価は60点くらい」とのこと。しかし3レースいずれも事前の狙い通りスタートからの存在感を示す、素晴らしいレースだった。

「選手村の様子は?」

取材の当日は、西岡選手のチームメートである琵琶湖ローイングCLUBのメンバーも参加しており、参加者からも西岡選手への質問を頂いた。

その中で、体が細いことで悩んでいる選手からは、「体を大きくするためにはどうすればいいですか?」という質問があった。西岡選手からは代表での活動経験も踏まえたアドバイスを頂いた。

西岡選手
「ハードなトレーニングはもちろん大切ですが、体のケアを見直してみるのはどうでしょうか。代表で共に活動していた有安選手は、大学院で体のことについて専門的に勉強していて、その知識をクルーにも共有してくれました。そして今回のパラリンピックに向けては、体を追い込むことと同じくらい、体のケアをクルー全体で重視していました。体を大きくしようと思うと、いい練習をしてしっかり栄養を摂ることが必要です。そしていい練習をするためには、正しい体のケアをすることが大切です。練習直後にビニールプールなどを使って脚を氷水でアイシングすると、翌日に残る疲れが軽減されたように感じます。また交代浴といって、冷たい水と温かいお湯に交互に浸かるのも体のケアとして有効だと感じましたので、よければ試してみてください」

交代浴をする際は、42℃のお湯に3分浸かった後、15~18℃の水風呂に1分浸かるのを3回ほど繰り返すのが有効だという。

またレース当日の様子を見た参加者からは、「視覚障害がある選手へはどのようにイメージの共有しているか?」という質問もあった。鍵を握るのは”ボートの動きを感じること”だという。

西岡選手
「ボートを速く進ませるためには、他のクルーがどう動いているかを見るよりも、実はボートがどう動いているかを感じることが重要です。例えばシートを動かすタイミングを合わせたいと思ったら、逆に” シートスライドがあっていない場合”を極端にやってみます。それでボートがどのように動くかを感じてもらうのです。そして徐々に理想のスライドに変化していった時のボートの動きと比較して伝えることで、良いときと悪いときの差が分かり感覚を共有することができます」


また選手村での様子についての質問もあった。選手村内での他の選手について、印象に残ったシーンを教えてくれた。

西岡選手
「パラリンピックの選手村は当然ながら、障害のある方が多く、車椅子や、義足、義手の方がたくさんいました。食事会場や、移動のふとした場面で、大丈夫かな?と思い、助けるために声をかけようとするのですが、その前に身の回りのことは自分自身の方法で難なく解決してしまう選手がほとんどでした。食事や移動で出会う、そういった場面が非常に印象的でした」

いずれもボートを長年漕ぎ続け、そしてパラリンピックを現地で体験した西岡選手にしか語れない、貴重なお話だった。


琵琶湖への感謝を胸に、原点へ

東京パラリンピックを終えた西岡選手は、早くも次のパリを見据えていた。

今後は活動拠点を琵琶湖ローイングCLUBから地元広島へ移し、新たなスタートを切る。
この日は西岡選手から琵琶湖ローイングCLUBのメンバーへ、感謝の言葉が述べられた。

西岡選手
「自分が辛い時期を乗り越えられたのは、琵琶湖ローイングCLUBでボートの楽しさを思い出せたからだと思っています、皆さんには本当に感謝しかありません。自分のボートのキャリアの中でも、本当に大きな糧を与えていただきました。今後も琵琶湖で開催されるレースへは戻ってくる機会もありますので、今後ともよろしくお願いします。本当にありがとうございました」

本当なら直接会って話をしたいところだが、昨今の情勢に鑑みこの日はオンラインでの開催だった。しかし画面越しに、仲間から大きな拍手が寄せられた。

そして、西岡選手は今後の活動についてもメンバーに向けて語ってくれた。

西岡選手
「今後は、原点でもある広島に戻って、たくさんの人がボートを漕げる環境づくりにも力を入れたいと思っています。またひとりの選手としては、長い期間がないと取り組めない肉体改造にも力を入れたいと考えています。今よりも更に成長して、2024年のパリパラリンピックへの出場を目標に今後も活動していきます。そのとき僕は50歳を超えていますが、東京大会よりもいい漕ぎができるよう、これからもボートに向き合い続けていきたいと思います」

パラリンピック出場を果たしても、更に上を目指す想いが尽きる事はない。

パラボートを始めようと思っている方へ

今後は自身の地元であり、ボートを始めた原点の広島へ戻り活動を続けていく西岡選手。最後にパラボートに興味を持っいる方へ、そしてこれからパラボートを始める方へのメッセージを頂いた。

西岡選手
「障害があることで、色んなことが制限されているような気持ちになるかも知れません。でも自分はだからこそパラリンピックに出られると、前向きに気持ちを転換することができました。

49歳という年齢で漕いでいる自分の姿に共感して、一歩を踏み出してくれる方がいれば嬉しく思います。ボートって正直しんどいことの方が多い競技だと思うのですが、続けていればきっといいことがあると自分は思っています。続けることの大切さというのはひとつ自分が皆さんに自信を持ってお伝えできることだと思っています。

もちろん色々な環境の制限があります。また心身を苦しめすぎてまで続ける必要はないと思います。一番は自分を高めながらも、”楽しんで続ける”ことがベストだと思います。辛いことも多いですが、続ければきっと良いことがあると思います。もし興味をお持ちの方は、ぜひボートの世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか」

年齢や練習環境。普段私たちがついつい「壁」だと言ってしまうことを、信念を持って乗り越えていく西岡選手。その姿を今後もぜひ応援していきたい。

取材を終えて

お話を伺いながら「続けることの大切さ」というのが、説得力を持って自分の心に迫ってきました。

お話の中では、琵琶湖ローイングCLUBの子供達に向けて、「チャンスが来てからでは遅いこともあります。いつチャンスが来ても良いように、ぜひ普段から準備を続けて欲しい」というメッセージもありました。

その言葉はボートに取り組む子供へ向けてだけではなく、自分たち大人へも日々の姿勢を見つめ直す力を持っているような気がしました。

誰しもが西岡選手のように強くはないかもしれません。
それでもその姿勢から続けることの大切を感じ、きちんと心の中に留めておきたいと思いました。

読んで頂いた方へも西岡選手の信念が伝わり、少しでも何かへ向かう力になれば幸いです。

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