ローイング全日本優勝者であり、現在はグローバル・セーリング・チャンピオンシップ「Sail GP」の日本チームに所属する笠谷さんへのインタビュー企画。帰宅部として東大受験にまい進した高校時代から、ローイング選手から転向しセーリングを舞台に日本を代表して世界で戦う現在に至るまで、笠谷さんは自分自身の可能性を信じて突き進む。
笠谷さん 経歴
大阪府出身。一橋大学入学後にボート競技を開始。大学卒業後は総合商社に勤務しながらボート競技を継続し、全日本選手権優勝などの成果を残す。
その後、世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ」に出場するSoftBank Team Japanの選考を通過し、英領バミューダ諸島でセーリング選手として活動。
現在はグローバル・セーリング・チャンピオンシップ「SailGP」で日本チームの選手として活動中。
- 目次
- ①東大受験に捧げた高校時代
- ②一橋大学でボート部と出会う
- ③ダークフォース「クリムゾンギャング」
- ④セーリングの世界へ
- ⑤筆者後記
①東大受験に捧げた高校時代
コ:高校ではどのような学生でしたか?
カ:高校時代は帰宅部でしたが、当時流行っていた「ドラゴン桜」という漫画の影響で、「東大合格」を目標に受験勉強に打ち込みました。高校も偏差値60くらいで進学校っていえる高校でもなかったんですが、高1の3学期から1日10時間くらいの勉強をはじめました。
コ:勉強のモチベーションはなんだったのですか?
カ:「東大に行くんだ!」って自分を洗脳してました。東大受験本を読み込んで、「東大に行かなくてはいけないんだ!」という自己洗脳をして、「どうすれば東大にいけるのか」を考えていました。予備校で他の進学校の友達を作るなどして、意識高い仲間を募って一緒に勉強してました。
コ:通っていた高校では、だいぶ異質な存在だったのではないですか?
カ:そうですね。高校では話す友達はいますけど、放課後はバラバラですし、今でも付き合いのある人は高校内にはあまりいないですね。高校の友人には「なんでこいつはここにいるんだ?」とか思われていたと思いますね。笑 体育以外の授業も東大を目指す自分には合わないなと思って行かなかったりしました。
コ:東大受験をして、結果一橋大学へ進学なさったわけですが。
カ:そうですね。僕は東大を3回受けてまして、現役の前期・後期、浪人の前期の3回です。ただ、3度目の正直でダメならしょうがないと思い、浪人後期で受かった一橋大学へ進みました。浪人時代は学力をキープして、もう一回受けられるくらいの考えでしたし、高1から東大受験の勉強してたんで、すでに3浪目くらいの気分でしたので。一橋に受かったのはうれしかったですよ。まあ、東大ではないな、という気持ちもありましたが。ただ引きずっててもしょうがないなという感じでした。
②一橋大学でボート部と出会う
2010年の全日本選手権の時のエイトクルー。笠谷さんは5番(写真右から4人目)で、ストロークはリオ五輪に出場した中野さん。
コ:一橋でボート部へ入った理由は何でしょうか?
カ:当時のボート部から感じた仲が良い雰囲気に惹きつけられました。当時は最近に比べてそこまで強くなかったんですけど、本音で話せる先輩がいたんですよ。その人自身はボートがそこまで速くなかったんですけど、良くしてくれて。その後どんどん仲良くなっていって、「そろそろ入るっしょ!笑」みたいなことも言われつつ、ずるずると。入部するときは「日本一」は全然響いてなくて、むしろ「国立では無理でしょ」くらいな冷めた感じで見てましたし、正直「去年の成績からすると、日本一はかなり遠そうだな」みたい想いもありました。
コ:どこかでスイッチが入ったんですか?
カ:2年上の先輩がとても強くて、その代の時に「革命」というスローガンを掲げたんです。もう過去の一橋の前提を取っ払って、ゼロベースで勝つためには何が必要かを考え始めました。で、カリスマ性のあるキャプテンが今までの1.5倍の距離を漕いでみたり、並べて漕ぐメニューなどを実行していきました。ベスト更新もたくさん出るようになりましたね。一橋では過去いなかったエルゴ6分10秒台の先輩が出たり、また、U23世界選手権で2位になる先輩(後にリオ五輪に出場した中野さん)も出たりして、やればできるんじゃないか、という空気感が出てきて、どこまで上にいけるんだ?みたいな意識に僕自身も変化していきました。
コ:他にも部の革命が進んだのですか?
カ:サポート体制が整いました。代表経験もあった野村さんにお声掛けし監督になっていただきました。野村さんが監督になってからは、「漕ぎ込み方」を学び、より効率的な練習ができるようになりました。結果として当時の東大との定期戦でも歴代最高タイムで優勝できたり、僕個人としても大学でボートを始めて全日本選手権で3位になったりと、結果が出てきました。周りが喜んでくれるので、うれしかったですね。同期も全日本2位になったりして、やればできる雰囲気が部内で醸成されていったように感じます。
コ:「革命」の中で今の一橋ボート部の原型が出来上がったのですね。ご自身が高学年になってからはどうでしたか?
カ:3年生の時にシングルで勝負したいなぁと思い始めました。というのも、当時の東商戦で一番勝つのが難しいのはシングルだという話を聞いて、であれば挑戦したいと。ただ、部内では結構揉めましたね。 東商戦はシングルで出れましたけど、インカレはエイトに乗りました。1つ先輩の中野さん(後にリオ五輪に出場)と並べて勝てばインカレにシングルで出てよいと言われたんですが、並べ前に少し怪我をしてしまい、「じゃあ不戦敗ね!」みたいな笑 もちろん、チームを代表してエイトに乗れることは光栄であったので、インカレでは「エイトで優勝」に目標を切り替えて臨みました。
③ダークホース「クリムゾンギャング」
2015年の全日本選手権の時のクルー。クリムゾンギャングとしては3年目のクルーで、J-POWER(電源開発)の伊藤琢磨さんと組んで「アイリスオーヤマを倒す」ことを目標に出場。
結果は3位。
コ:次に、クリムゾンギャングについてお話を伺ってよいですか?
カ:大学を卒業して1年目は一橋のOB会の選手として全日本選手権にシングルスカルで出場し3位になりました。学生時代に持っていた「シングルで挑戦したい」という想いが叶ったので、ボートを辞めたくなるかと思ったのですが、まだ全日本選手権で優勝したこと無いし、挑戦したいと思うようになりました。それで、僕の同期で京大の人がボート漕ぎたいと言ってたんで、じゃあ優勝できる確率の高い付きペアで出ようとなりました。チーム名は目立つ名前がいいだろうとなり、各々の母校のアメフトチームから「クリムゾン」と「ギャング」の名を頂きました。クリムゾンギャングはゼロから自分たちで立ち上げたチームだったので、ボートの手配含めていろんな人にサポートを頂き、優勝できてとても充実感がありました。誰も僕たちが勝つとは思ってない中で、勝てて気持ちよかったですね。笑
コ:ここでも異端児感が出ていますね。
カ:ゼロから立ち上げて勝つことに美意識みたいなものを感じているのかも知れないです。既に仕組みが出来上がっていて、勝っても誰でもいいじゃんとなるよりは、今ある既成概念に一石を投じて、みんなに驚いてもらうことが好きかもしれません。センセーショナルな影響を与えることは好きです。
コ:クリムゾンギャングでのモチベーションはなんでしたか?
カ:いろんな人とクルーを組むことが楽しかったのと、絶対的な強者、例えばアイリスオーヤマを倒す、みたいなことを目指すことが面白いなと思っていました。なのでクリムゾンギャングの3年目は全日本の付きペアで2度目の優勝という目標ではなく、全日本の絶対王者を倒すべくダブルで出ました。
コ:ボート界の固定概念に挑戦している気がします。
カ:やり方や考え方が決まっていることに息苦しさを感じるので、実業団にいけないことを理由にボートを引退するみたいな発言へのアンチテーゼになりたいという気持ちはありました。僕自身が実現することで、やればできるということを証明したいんですよ。ボート界を変えたいというわけではないし、変わりたくない人はそれでいいと思います。ただ、選択肢があることを証明したいです。
④セーリングの世界へ
2019年SailGPシドニー大会の時の写真。写真の3人のうち、真ん中が笠谷さん。
コ:セーリング競技に進んだきっかけは何だったのでしょうか?
か:自分の力を試したいと思い、JOC(日本オリンピック委員会)のタレント発掘選考を受けていたんです。また、そういう流れの中で、世界最高峰のヨットレース「アメリカズカップ」に挑戦する「SoftBank Team Japan」が日本人選手を募集していることを友達から聞きました。セーリングに興味を持ったのは、ローイングエルゴの世界記録を持つ選手もニュージーランド代表で活躍していることを知り、ローイングから転向しやすいのではと。あと、ボート自体も40mくらいあってかっこよかったので。笑
コ:どんな選考内容なのですか?
カ:エルゴ2000mを含む腕立てとか諸々の基礎体力テストでした。加えてチームの公用語が英語なので、英語力も見られました。エルゴは普段2000mエルゴで競い合わない選手とできたんで、結構楽しかったです。本気で選考に来ている人はエルゴのフォームもちゃんと練習してきていて、だいたい6‘40くらいは平均して出していたように記憶してます。
コ:その後“プロアスリート”になり、心境的に変化や気づきはありましたか?
カ:ありましたね。スポンサーから給料を貰い競技をする立場なので、まずはスポンサーへの配慮だったり、あとは見てくれる観客に楽しんでもらうという意識が芽生えました。また出場したアメリカズカップという大会は海外では生中継で放送されていて、オーストラリア・ニュージーランドではそこそこの視聴率があるコンテンツなんです。なので、スポーツビジネスとしてもしっかり成り立っていてます。その反面、レース中に突然、放送時間の関係でコース変更があったりしてビックリすることもあります。笑 ボートの国内大会ではありえないですよね、「時間ないので以降のレースは1500mにしてください」とか笑 また、海外の選手と合宿生活をしていて気づく点もあります。例えば、大学時代に合宿生活を送っていたおかげで、合宿生活への免疫があったこと。他にはトレーニングの取り組み方で、競技性にもよると思いますが、ローイングはフィジカルが9割くらい大事だと思っていますが、セーリングってレース環境を読んだりする力=戦略力が結構必要なんです。だいたい8割が戦略力で2割がフィジカルくらいの認識です。だからこそ、ローイング経験のある自分はフィジカル強化の面では他の選手より意識高く取り組めた自信がありますね。
コ:客観的にローイングの魅力は何だと感じますか?
カ:僕的には、自分自信と対話ができることや、理性を取っ払って本能のままに戦えることがローイングの魅力だと感じています。ローイングはレース中の不確定要素が少なく、直に力の差が出る競技なので、勝敗がシンプルでわかりやすいですよね。セーリングはコースを引くっていうんですが、自分たちで潮の流れをデータで読み込んで分析し、加えて「他の艇がこのコースを行くだろうからあえて自分たちはこっちから回る」みたいな戦略をたてます。そういう意味で、ローイングは不確定要素が少ない分、やった分だけ速くなる、そんな競技だと思います。
2009年の全日本新人選手権の時のエイトクルーの写真。決勝で仙台大学に0.2秒差で負けた時の写真で、表彰台では笑っているが、レース直後は泣いているメンバーもいた。
④メッセージ
コ:笠谷さん自身が今後どうなっていきたいか考えていらっしゃることはありますか?
カ:セーリングに関してはまずは結果を出すということ。僕たちの大会はオーストラリアやイギリス、フランス、アメリカで開催されています。来年や再来年には日本でも開催される予定で、今やっていく中で結果を出して、メディアとかでも取り上げて貰えるようになる。そのための競技成績だったりもするので、頑張っていきたいですよね。また、ボートで言うと、コースタルをうまい感じで広げていきたいなと思いますよ。オリンピック種目になるので、ある程度は広がるんだろうなと思いますけど、コースタルも海でやるスポーツではあるのでセーリング選手としても共同して、コースタルの普及には携わっていきたいと思いますね。
Beach Rowing Sprint Games 2020 Imabari 9/27開催 で優勝
コ:この質問は完全にローイング選手向けになるのですが、ローイング選手の後輩に向けて一言いただけますか?
カ:一度しかない人生なので、悔いのないようにしてほしいなと思います。ローイングは身体能力によって如実に伸びる伸びないが見える競技だと思うので、そこに変に悩みすぎずに、悟って斜に構えることもせずに、一度しかない人生という認識の元で納得感の得られる行動をしてもらえれば良いのではないかと思います。
コ:本日はありがとうございました!
⑤筆者後記
笠谷さんは、自分自身の可能性を誰よりも信じ、道なき道を進む。
ローイングは直線のコースが引かれているのに対し、セーリングは自らコースを引く。
笠谷さんがセーリングで戦っているのは、偶然ではないように感じた。
笠谷さんが進む道程に注目していきたい。
(K)
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